2020年1月10日、お嫁ちゃんが急に出張になって晩ご飯作りから解放されました。
家の中でゴロゴロするのも悪くないのですが、以前からちょっと気になっていた女川町へ行ってみることにしました。
シーパルピア女川&ハマテラス
仙台市街地からクルマを走らせること約1時間半。たどり着いたのは女川駅前にあるシーパルピア女川&ハマテラス。
ここは2016年8月に放送された「孤独のグルメスペシャル!真夏の東北・宮城出張編」の舞台にもなりました。
ゴローちゃんは「よし、ここで食べちまおう」と三段ズームアウト(ポン!ポン!ポン!の効果音付き)を発動したのですが、結局、何も食べずに軽トラに乗り込んでしまいました。
僕はゴローちゃんの敵討ち……ではありませんが、ちょっと早めのランチにしました。
女川港を眺めながら食事ができるお魚いちば おかせいで女川丼をいただきました。
うまーべらす!
お刺身が山盛りで食べ応えまんてん。
「あら汁もついてます」とオマケ的な扱いだった汁物も、ゴロゴロと切り身が入っていて美味。
お腹いっぱいになってしまいましたので、付近をちょっとお散歩することに。
女川港
女川港の沿岸はメモリアル公園の造成を目指して工事中でした。
その中央には震災遺構として残されることになった旧女川交番があります。
鉄筋コンクリート製の2階建ての建物がゴロリと横倒しになっている姿が、津波のパワーを今に伝えていました。
また、先ほどランチをいただいた おかせい の前では干物を作っていました。
海に奪われても、また海と向き合いながら生きていく。
そんな女川の人々の力強い意志が伝わってくるようでした。
女川原子力発電所
最初は女川駅まで電車を乗り継いで行こうと思いましたが、クルマにしたのは原子力発電所を見たかったから。
女川の中心街からクルマで走ること約30分。コバルトラインのワインディングを抜けて、女川原子力発電所に向かいました。
途中、リアス式海岸特有の山並みが海に溶け込む美しい光景を見ることができました。
最初にやってきたのは小屋取漁港です。
というのも女川原発が山に囲まれた入江に面しているので、陸上から全景を望めるのはここの防波堤しかないのです。
でも、実は主な建屋の屋根部分しか見えていません。
土手の上にズラリと並んでいるのは、海抜29メートルにもなる補強された防潮堤です。
2011年3月11日、震度6弱の揺れをしのいだ女川原発は13メートルの津波にも襲われました。
そのとき、地盤沈下なども含めると、わずか80センチのところで津波による被害を防いだといいます。
また、外部電源が1系統だけ生き残った幸運にも助けられ、未曾有の大規模災害でも重篤な事故を起こさずに今に至ります。
現在、そんな女川原発は再稼働を目指して作業や工事が行われていて、この日も数多くのトラックやタクシーが出入りしていました。
女川原子力PRセンター
残念ながら女川原発の敷地内には原子炉等規制法の定めにより、一般人が気軽に入ることができません。
そこで女川原子力PRセンターを目指しましたが……
あれ?休館中?
いえいえ、改装工事中でしたがちゃんとやってました。
入館時に受付でパンフレットと来館記念グッズがもらえました。
僕は携帯ストラップを選びましたが、鉛筆、ボールペン、メモ帳もありました。
改装中でしたけど、館内はとても綺麗でしたし、展示内容も比較的新しいものに更新されているようでした。
中でも1/2サイズの原子炉モデルを用いた、発電の仕組み解説は『なるほどぉ〜』となります。
このモデルの横に燃料棒や制御棒の実物大模型もあって、濃縮ウランの燃料ペレットが意外と小さくて驚きました。
このほかにも人生で初めてガイガーカウンターを使いました。
昆布や花崗岩からも微量の放射線が出ていることがわかりました。
自分の身体に当ててみましたが、あまり反応は変わりませんでした。
今回、わざわざ山道を運転して女川原発までやってきたのは、原子力発電所というものを実際に見てみたかったからです。
東日本大震災以降、それまで遠い国での出来事だった「原発事故」という言葉が不幸にも身近なものになってしまいました。
そして多くの人が原子力発電について議論して意見を表明してきました。でも、僕のスタンスはいまだにハッキリしません。
確かに原子力発電は事故の被害が大きすぎる。
でも、燃料を常に輸入し続ける必要がある火力発電は地政学的リスクが高い。
かといって、太陽光パネルで埋め尽くされたハゲ山を見ると心が痛みます。
ただ女川原子力PRセンターの展示を見てると、『原子力って夢のエネルギーだったな』と懐かしい気持ちになりました。
思い出せば鉄腕アトムだってドラえもんだって小さな原子炉で動いてました。
もっと安全かつ安定的にエネルギーを取り出せる方法があればいいのにな……なんて思います。
宮城県慶長使節船ミュージアム
僕はバイクもクルマも好きですけど、船も大好きです。
石巻市にある宮城県慶長使節船ミュージアムには17世紀の木造帆船「サン・ファン・バウティスタ号」が復元・係留されているとのことで、ずっと訪問する機会をねらってました。
1993年に進水したこの木造船は東日本大震災の津波直撃にも耐え、外洋航海にも耐えうる堅牢性を示しました。
しかし、その後はマストが倒壊するなど老朽化が著しく、現在は船内に入ることはおろか近づくことすらできません。
修繕するにも費用だけでなく船大工の高齢化などの問題が山積しており、2021年に解体される方針がすでに出ています。
つまり、この勇姿を見られるチャンスも今年限り。
たとえ間近で見られなくても、全長55.35メートル&メインマスト高32.43メートルの帆船は大迫力です。
400年前に伊達政宗は4,500人以上の人手を使役し、材木も岩手県東磐井地方や気仙沼などから調達して、この船を45日間で建造したとされます。
人手も材木も「Made in 東北」にこだわった木造帆船。伊達政宗の外洋進出に対する熱意が感じられました。
そして、そんな東北魂が400年の時を経て目の前に鎮座していると思うと、アツいものが胸に込み上げてくる思いでした。
解体後、FRP製で1/4サイズと到底「復元」とは言い難いものになってしまうようです。
どうやら検討委員会ではVR体験で資料の価値を補うことも提言されたようですが、どんなにVRの技術が発達したからといっても、やはり生で見て触れたときのインパクトには敵わないと思うんですよね。
せっかく原寸大の木造船があるのだから、なんとか修繕して保存できないものか……と思ってしまいます。
『もしあの日、地震も津波も起きなかったら……』という if が頭をよぎる場面もありましたが、女川町と慶長使節船ミュージアムを楽しんできました。
でも実はこのブログを書いているときに女川駅内に温泉があることに気づいちゃったんです。知らんかったよ。
次は温泉からの海鮮丼のコースだな。うん、そうしよう。
ではでは。