近所のスーパーでレジに並ぶと
「ソーシャル ディスタンスを開けてください」
との張り紙が出ていました。
距離を取って欲しいのなら「ディスタンスを開けてください」でいいのでは?
てか、物理的距離が必要なんだから「フィジカル ディスタンス」なんじゃない?
“ソーシャル”というと「人と人のつながり」を想起させるので、
- 直接、店舗に行かずにネット通販を利用する
- 一緒にテーブルを囲まず、オンライン飲み会を開催する
- 旅行を取りやめて、自宅で過ごす
というような、他人との接触機会を減らす取り組みを「ソーシャル ディスタンス」と呼ぶなら分かる気がするんですよねぇ。
だから、「2m の距離を保ちましょう」という取り組みは物理的な距離に重点を置いているので、“ソーシャル”ではないと思うんです。
まぁ、英語圏では物理的距離を保つ公衆衛生の取り組みを「 Social distancing (ソーシャル ディスタンシング)」と呼んでるようです。
ちなみに「 Social distance (ソーシャル ディスタンス)」というワードは別の意味を持っていて、社会学の分野で人種や性別、所得層、宗教などで隔てられるグループ間の距離を指しています。
別にカタカナ語を使うことにうるさく言うつもりはないのですけど、さすがに原語と意味が異なる用法が定着するのは『チョットなぁ』と感じてしまいます。
てか、「距離を保ちましょう」とか「家にいましょう」じゃダメだったんですかね?
ステイホーム、アスリートファースト……それにしても最近はカタカナ英語が多すぎるように思うんですよ。
So, why don't we use English? Please tell me any reasons to mix up English words into Japanese sentence.
Well... I think that's enough for today. Dewa-dewa...