大将がゆく

写真を撮ったり、イラストを描いたり……日本一周の旅をした主夫の日記帳

AIの時代に

適当な下描きをアップして、プロンプトを打ち込めば数十秒でイラストが手に入る時代にわざわざ自分の手を動かして描く意味はあるのでしょうか?

少し前のAIが出力するイラストは違和感が強かったり、細部の矛盾などがありました。しかし気づけば5本指の綺麗な手が描けるようになって、全体を俯瞰視してもそれなりに自然な画像が生成できるようになっているようです。

つまり、もう自分の才のなさと対峙して絶望したり、浮かんだイメージを具現化できない無力感を味わったり、何時間も同じ姿勢をとり続けて筋肉痛に苦しんだりする必要なんてなくなったわけです。

とりわけ僕の場合は絵描きを稼業としているわけでもなく、SNSへ投稿するわけでもなく、せいぜいこのブログに掲載するだけ。しかも描いた絵のうち半分近くは妻だけに見せて満足し、あとはストレージの肥やしにする状態。

これなら苦しまずにAIに代行してもらったほうがタイパがいいし、浮いた時間でゲームでもしたほうが楽に過ごせます。

……でも、そうじゃないんだよな。

仕上がりよりも過程が楽しいんです。絵を描くという工程が楽しくてやってるんだから、その一番美味しい部分をAIにやらせてどうするんだって話。

やっぱり己の肉体を動かして生み出す行為って喜びを伴うものなんです。これって芸術だけでなく、運動とか仕事にも通じることだと信じています。


正直、生成AIが急速に浸透していて、この先の世の中はどうなるんだろう?なんて不安に近い疑問を抱くことがあります。

先日はレポートをAIに作らせる学生向けのTipsを目にしましたが、それで単位をもらえたとして支払った学費と与えられた学習機会に見合う知識は自分の脳味噌の中に残ったのだろうか?なんて考えてしまったり。

かくいう自分が10代の頃もネット検索が同じような疑問を向けられていて、Wikipediaの不正確な情報を鵜呑みにするなとか散々言われたものです。

思い返せば当時は僕も「暗記した知識で持ち込み不可のテストを受けるなんて時代錯誤。ネット検索を許可してレポート作成させたほうが時代に即してる」なんて本気で思っていました。

でも、30代の半ばにしてやっと気づいたことは、自分の肉体に刻まれた知識や技術はこの世界の彩りを豊かにするということ。

見聞きする物事はネットで検索したり、AIにレポートを作らせればより深く知ることができます。しかし「検索したりプロンプトを打ち込む価値があるか?」と最初の判断を下すのはこれまでの記憶と経験なんですよね。

知らなければ素通りしてしまう。でも、知っていればその瞬間に立ち止まれる。立ち止まれば観察も記録もさらなる調査もできるんです。

で、絵を描く話に戻りたいのですが、今さらペンを手に取って絵の練習をはじめる人ってどれだけいるのでしょうか?

従来ならヘタクソな絵を頑張って積み重ねただろう人々の一定数はすでに「AI絵師」としてデビューしてるのでは?だってそのほうがコスパもタイパもいいし、苦しい思いをしなくて済みますから。

ちなみに僕がちゃんと絵を描くようになったのは2020年ごろ。その当時に画像生成AIがなくてよかったな、なんてつくづく思います。

だって何時間もとい何日間も時間を費やしても思うようなイラストが描けないとき、もしAIがポンポンと小綺麗な絵を出してきたら……完全に心を折られてます。筆もへし折ってたと思います。

「やっぱり自分自身に身につけるべきだよな」なんて思いを抱くのは、やはり生身の無力感とか情けなさと向き合わされた経験があってこそなんです。

でも、その茨の道を通ったからこそイメージ通りの線が引けたときの感動があるし、その感動を知ってるから完成後に見返して「ヘタクソだな……」なんて気落ちしても次の絵を描こうとするんです。


さて絵を描く → 生成AIとの付き合い方と風呂敷を広げてきましたが、さらに広げると、2025年の僕が抱くギモンは「デジタル技術は人類を豊かにしたのか?」ということ。

もちろん答えはYes。僕に限ってもApple Pencilで動作する手振れとか形状の補正がないとロクな絵が描けませんから。あと大好きな写真撮影だってデジタルだから1日で何百枚も撮ってトライ&エラーを気軽に試せるのです。

でも、そればかりじゃない。ハッキリいってここ最近のSNSは論争とかバズばっかりで見ていて消耗します。なんか世界の真実に“氣付いた”人々もたくさん出てきたし。

そういった意味、IT革命とAI革命を経て便利になったこともおおい反面、ホモサピエンスが処理しきれない膨大な情報に晒され続ける羽目になって、逆にダメな影響が社会に現れてるんじゃないかな?なんて思ってしまうんです。

まぁ、僕個人が憂いたところで何も変わらないのでしょうけど。


……うん、なんか深夜のテンションでこういうことを書きたい気分でした。最新のテクノロジーに一言つけたくなるなんて、きっとメンタルが老いたんでしょうね。

かくいう今日はダラダラとスマホに相手してもらって、スマホを手放したかとプレステに代わってもらって……と1日を溶かしました。

もはや自宅内にインターネットもゲーム機もなかった90年代前半の頃、どうやってアナログに休日を過ごしていたのか思い出せなくなってます。

もともとデジタル世界との付き合い方には悩まされてきたつもりでしたが、AIの普及でより難しくなってきたなと思うわけです。

それじゃあ、また。