キノコが生えた
「キノコが生えてる!」
一昨日の朝、テレビを見ていた妻が驚いた声をあげました。
朝食を用意する手を止め、プランターを覗き込みます。
たしかに立派なキノコが生えているじゃないですか。すげぇ……。
一夜かぎりの儚き命
我が家ではかれこれ5年ほどプランター園芸を楽しんできました。
雑草はたくさん見てきましたが、キノコが生えたのは初めて。
調べてみると「ヒトヨタケ」の仲間みたいです。でも、正確なことはわかりません。
ちかくにカメラを置いて、定点観測をしてみることにしました。
最初にヒトヨタケを確認したのが8時ごろ。とても綺麗な形をした傘が美味しそうでした。
しかし、もう9時過ぎには傘の縁が黒ずんできて、どんどん形が崩れていきます。
結局、日が暮れるころには完全に枯れてしまい、翌朝になると跡形もなく消えてしまいました。
長短の問題じゃない
短い命はかわいそうなのか?
否。
ヒトヨタケがその形をしていたのはおそらく24時間にも満たないでしょう。
でも、彼(彼女?)には明確な目的がありました。
そして、その使命を完遂し、満足げに朽ちていったように見えたのです。
かつてローマの思想家セネカは
人生は短いのではない、人間がそれを短くしてしまっているのだ
と説きました。
また、兼好法師は徒然草の中で
名利に使はれて、しづかなるいとまなく、一生を苦しむるこそ愚かなれ。
と記しました。
時間的な長短というのは、正確無比なようで実は曖昧なものであるように思います。
目先の名利ばかり追いかけると人生は短く一瞬で過ぎ去るでしょう。不老不死の命でさえも足りません。
しかし、目的もなく無為に過ごす人生ほど長く続くものはありません。
その目的を探すため、かつて天才と呼ばれたエンジニアは
If today were the last day of my life, would I want to do what I’m about to do today?
と毎朝、鏡に向かって自問し続けました。
ヒトヨタケの生き様を見て、僕も自分に向かってそう問いかけることにしたのです。